舞台・ミュージカル

2013年10月10日 (木)

Dステ14th「十二夜」@紀伊国屋ホール

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シェイクスピアの傑作喜劇と言われている作品「十二夜」の舞台を新宿・紀伊国屋ホールで観てきました。「十二夜」とは、12月25日から12日目の1月6日の夜のことらしいのですが、作品の中でそれを感じる部分はなく、その時期のにぎやかさを象徴してるタイトルなのかな?と思ってみたり。

シェイクスピアの~なんて書きだしたものの、シェイクスピアを本でちゃんと読んだことなどほとんどなく、なのにふと気が付くと、最近観た舞台が「ロミオ&ジュリエット」だったりするから不思議だ。

★Dステ「十二夜」、東京公演は今週末の10月12日(土)まで。大阪は10月17日~19日まで。

今回の舞台を観ながら、「Dステっていったい何だろう?」と幾度か頭をよぎった。「十二夜」には女性の登場人物もいるのだが、登場人物全部を男性が演じていた。オールメイル(全員男性キャスト)でシェイクスピア作品を演じる。だけどその点については、ほとんど違和感を感じることなく、素直に観れた。オリヴィア(池岡亮介)もヴァイオラ(碓井将大)もスタイルが良く、キレイだったから(笑)。

Dステっていったい何だろう?

D-BOYS&D2のメンバーが今まで創り上げてきた舞台は結構観てる、、、ほとんど観ていると思う。今まで足を運んだ作品は、「チョンガンネ~おいしい人生お届けします~」、「TRUMP」、「クールの誕生」、「淋しいマグネット」、「検察側の証人」、「ラストゲーム」、「鴉~KARASU~」。私が一番好きな作品は「淋しいマグネット」だ。

Dステ作品は、自分の感性とピタッとはまる作品もあれば、なんか居心地の悪い時もあれば、自分とは接点がないだろうと思いながら観てみたら、ものすごく興味を持った・・・など、いろいろだ。毎回まったく違っていて、たとえ大好評の作品だったとしても、ひとつの成功パターンを繰り返しなぞるのでなく、ひとつ組み立てては、それを自分たちで壊して、また新しいことにゼロから取り組む、、、みたいな感じだ。いや、実際はわからないけど、そんな風に見える。だから次がいつも気になる。怖くないのかな? 不安じゃないのかな? 絶対怖いし不安だと思う。だから必死に物語と、役と、自分自身と闘っている、そうして各自が成長してきたのだろう。

「十二夜」は喜劇なので、説明は必要ない。リラックスして楽しめばいい。会場のエリアに一歩足を踏み入れると、劇中にも登場する楽団がロビーで演奏している。アコギ、ピアニカ、たて笛、パーカッションで、劇中Beatlesの♪All you need it LOVEなど演奏していたが、、、All you need it LOVE~♪愛こそはすべて!この作品のテーマかもしれないな。だって登場人物のほとんどが、誰かに熱烈恋してる!

そういえば・・・「十二夜」の中でシニカルだけど滑稽で哀しい男マルヴォーリオがいて、「ロミオ&ジュリエット」にはベンヴォーリオという登場人物がいる。シェイクスピア作品は、名前が人物の性格を表していることが多いようなので、何か意味とかつながりとかあるのかな?-----と、調べてみた。

「ロミオ&ジュリエット」のベンヴォーリオの「ベン」が「well、good」を意味していて、ベンヴォーリオの争いを好まない性格が表現されているようだ。確かにいいヤツなんだよね。そしてマルヴォーリオ(Malvolio)その反対。「マル」は「ベン」の逆で「悪」を連想させるらしい。と、ちょこっとシェイクスピアの豆知識を仕入れ、こういうのがきっかけで、本を読んでみたくなったりするんですよね。

とはいえ、マルヴォーリオもひっくるめて「十二夜」の最後はハッピーエンド。中でも道化のフェステ(陳内将)の歌が印象的。登場人物が1枚の絵画みたいに、或いは1枚の記念写真のように、フレームに収まる感じのシーンが好きです。このシーンに至るまでの、あちゃこちゃ恋模様だったのかな。

これからも、「Dステっぽい」とカテゴライズされるようなスタイルや枠を決めずに、今のまま自由に挑戦し続けて欲しいな。ときどきは私にドストライクの作品があり、ときどきはなんかイマイチわからなかった(笑)なんて作品もあり、そういうのがオモシロくていいと思う。

次はいったい何をみせてくれるのかな?

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2012年11月18日 (日)

ミュージカル「RENT」@シアタークリエ

【strobo】で以前一度撮りおろしをしている賀来賢人主演のミュージカル「RENT」が気になっていたので、観てきました。場所は日比谷のシアタークリエ。

「RENT」には、この作品のファン!という人もたくさんいて、日本でも何度も上演されています。この作品に出たいと言う役者もたくさんいます。2008年版は森山未來主演、2010年版は福士誠治主演、そして今回は賀来賢人主演。2008、2010年版は演出家エリカ・シュミットによる演出版を上演。2012年版はオリジナル版の演出を手掛けたマイケル・グライフによる新演出版でも上演! これは観に行かねば!

ミュージカル「RENT」は、1996年の初演以来ブロードウェイで12年4か月のロングランを記録し、世界15カ国で各国版の上演されるなど、世界中を熱狂させ続けてきた作品です。

物語の舞台は20世紀末のニューヨーク、イースト・ヴィレッジ。そこに描かれている若者たちは、芸術家、音楽家たちで、貧困、エイズ、ドラッグ、同性愛、といった死と隣り合わせが現実の日々。にもかかわらず、愛や友情を信じ、自由と夢のために闘いながら、支え合い愛し合って生きている。

実は私、2008年の森山未來主演(マーク役)の「RENT」は2回観に行っています。当時の演出で、マークが客席に降りてきて、ワイングラスで乾杯するシーンがあり、マークからグラスを貰うというサプライズにあやかりながらも、作品に対してはかなり厳しい評価をしていました。今読み返してみても、かなりの辛口。

↓2008年当時に書いたブログのテキストを一部抜粋。(*抜粋しても長文です~)

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●2008年12月28日 ミュージカル「RENT」

森山未來主演なので、観よう!と決めてました。彼の職人っぽところが好きです。ダンスなど、本当に基礎から積み上げていかないと、昨日今日で出来るものじゃないので、そこいらのカッコいいだけの俳優とは違うスキルと力を持ってるところが好きです。

昨日ミュージカル「RENT」を観るのは2回目。公演期間が長い舞台やミュージカルは最初と最後で変化してたりするから、2回観るケースも多いんですが、海外版も含め今回「RENT」初体験。いつものように事前に何の情報も持たず行ったら・・・初めて観た時は、何を言ってるのか?何を歌ってるのか?ほとんど聴き取れなくて、伝わらなかった。伝わらないということは、これでいいんだと信じてる製作者サイドの自己満足? 或いは、出演者のファンが何度も足を運んで、理解してくれることを想定している甘え?・・・と感じてしまい、観る側に対して優しくない作品だなぁ、と思いました。早口だから聞こえないとかじゃなく、リズムへの言葉の乗せ方も独特な強弱があったりで、耳がこのミュージカルに慣れていない人には、疲れてしまうでしょう。普段の生活で日本語は普通に耳に入ってくるけど、海外に行った時は、英語を「聞こう!理解しよう!」と、神経を集中させてるでしょ。そういう聴く側の心構えがないと、自然には耳に入ってきにくい作品でした。

出演者それぞれ歌が上手い!ということはわかるし、森山未來の熱演もダンスも、ものすごく好感持てるんですが、ですが・・・悲しみの背景、歓喜にわく背景が、よくわからないまま初めての「RENT」は終了しました。

サウンドも・・・生演奏と声のバランスが微妙だったかな。最近、映画館でも音がすごくいいでしょ。試写室もどんどん新しくなってる。いろんなシチュエーションで音を聴く環境レベルがどんどんアップしてる中、演劇する場所の音響が、まだまだ時代に追いついてきてないような気がします。

そして2回目。前から3列目の席なので、役者の表情の細かいところもよく見えるし、それだけでも新しい発見があるかなぁ、と。

突然ですが、、、「インタビューのテープ起こし」という仕事があるんですが、録音されたものを聞きながら、言葉を書き起す作業で、1回目はとりあえず音を流しながら、聞きとれた部分を書いていきます。2回3回と確認しながら聞き取りにくかった箇所を集中して聞くと、ようやく理解できて、テープ起こし完了。・・・・「RENT」って、そんな感じ。2回目だったので、1回目はほとんどわからなかった部分も前よりは聞き取れました(苦笑)。聞き取れたことによって、ははぁ、そことそこはそういう関係だったのか、など理解も深まる。残念ながら肝心なところで、なぜロジャーはNYを去ろうとしたのか?そしてなぜ戻って来たのか?マーク(森山)と仲間とのスタンスや苦悩などが、モヤモヤしたまま終了。役者たちが一生懸命演じていることがわかるだけに、一見さんに伝わりきらないもどかしさを感じますね。

Renntglass_3途中、マークがワイングラスを手にしたまま客席に飛び込んでくるシーンがありました。通路を挟んで隣の空席にちょこんと腰掛けるマーク(森山未來)。次の瞬間、くるりとこちらを見ています。見ています。見ています(時間経過)そして立ち上がり、顔をのぞきこまれ、あわわっとなってる私(笑)。右のひじのとこをグイって掴まれたような感覚が残って、マークはステージに戻って行きました。ん?ひじのところにグイって・・・と、左手を持っていくと、ちょうどひじの曲がってる角のとこに、冒頭で紹介したグラスがちょこんと置かれてました。っていうか、埋め込まれていました(笑)。プラスチック製のワイングラスのミニチュアでした。

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当時かなり辛口な評価だったのに、時間が経過しても、記憶には「RENT」のメロディがしっかり刻まれていました。

それはやはり「RENT」の魅力は音楽だから! 

「Another Day」で歌われる♪No day but today~の「未来もない。過去もない。今日という日を精一杯愛し、生きていく」というメッセージ。そして2幕最初に、キャスト全員が横一列に並んで力強く歌う「Seasons of Love」は圧巻の名曲! RENTの曲とは知らずに聴いたことがある人も多いのでは? ♪525,600分(=1年)をどう生きるのか? という歌詞が直球で胸に刺さります。彼らの叫びに胸が熱くなってきます。

今回は舞台セットも以前と全然違っていました。セットが違うので、役者の動きも違ってくるのはもちろんですが、今回は立体的な演出による圧倒的な迫力を感じました。3Dになったようなイメージ(笑)。その反面、シンプルな部分での弱さ(「Seasons of Love」を歌うシーンなど)というか迫力不足も感じたのですが、それ以上にとにかく役者がハマってるなぁ!と、まずそこで共感しました。ストリートの気配、退廃的な雰囲気、ごちゃごちゃした街の中で暮らす若者たち、それとSexy度が増したように思うのですが、生々しさという点ですごく良かった。

私が観た日のロジャーはWキャストのジュリアンが演じていましたが、彼を取り巻く空気が艶があって魅力的ですね。かなり見入ってしまいました。

「RENT」はジョナサン・ラーソンが作詞・作曲・脚本を手掛け、彼が生み出したミュージカルなんですが、1996年1月のプレビュー公演の前日に35歳の若さで死んでしまいました。それ以降の数々の受賞(ピュリッツァー賞ドラマ部門を初め、トニー賞ミュージカル部門など)や、「RENT」の今日までの大成功を見ることなくこの世を去ったジョナサン・ラーソン。

彼の頭の中にあった作品は、どんどん独り歩きし、日本でもこうして何度も上演されていることを、きっとどこか空の高いところから見てるかもしれないなぁ~なんて気持ちにさせてくれるのは、♪525,600分(=1年)をどう生きるのか? と投げかけられる言葉が、今を必死にもがきながら生きる私たちには痛いほどリアルだからかもしれない。

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2012年10月11日 (木)

東京セレソンデラックス「笑う巨塔」@サンシャイン劇場

東京セレソンDXが今回の公演を最後に解散する。現在、池袋のサンシャイン劇場で上演中の舞台「笑う巨塔」で彼らの12年の歴史に幕をおろす。

東京セレソンDXとは、私が製作しているフリーペーパー「strobo」の1回目に、宅間さんがインタビューで出でくれて以来、舞台のお誘いを受けて観に行くようになった。

「what a wonderful life(2010)」、「くちづけ(2010)」、「流れ星(2009)」、「夕(2008)」を観て・・・今回の最後の舞台は「笑う巨塔」。そしてこの舞台になんと斎藤工さんも参加している!これは行かなくては!

サンシャイン劇場の、かなり前の列のセンター席で観たのですが、観終わって思ったのは、これが最後の公演かぁ、意外なテーマだったな、と。意外というのは、セレソンDXの舞台には深くずっしりくる切ない感動作品と、笑える人情系コメディ作品の大きく2つの路線があったとしたら、人気演目は重く刺さる方なのかなと思っていたので、最後もそういうずっしりくる感じなのかなと勝手に想像してたら・・・最後は歌って踊ってハッピーエンドだったから。こういうのもアリなんだろうな、と思うけど、人ってわがままでないものねだりな生き物だから、甘いものを食べると辛いものが食べたくなり、辛いものを食べると次に甘いものが食べたくなるように、セレソンDXにも、じゃあ次は・・・と言いたくなる。

とはいえ、12年間お疲れさまでした。

何かを続けることって、ホント大変だと思います。私が製作している「strobo」も次号はvol.18で、途中何度もそろそろやめようかな・・・と思う瞬間があったのですが、コスト削減したり、とにかく続けていく、ということを重視して、続けるためにはどうするか? とあらゆる工夫しながら、気づいたらvol.18・・・ってなかなか結構な数字ですよね。お~積み重なってるね~って我ながら驚く時がありますから。

続けることも、やめることも、どっちも勇気がいるし大変なことなんだけど、それでもやっぱり続けて行くことの方が難しい気がしています。仕事で出会うK-POPのグループ1つ1つもそうだと思うし、何かを集団でやってること全てが、時間が経過しても最初の気持ちのままで全員がいることってそうそうないので。初期衝動で始めたことも、時間が過ぎ冷静になってくると、周囲が見えてくる中で、それぞれがいろんなことを考えたり、個人の生き方ってのもありますからね、自分はこのまま続けていきたいと強く望んでいても、相手にはもっと大切なことが見つかったり、違う選択が生まれることってホントよくあることで・・・生き方の選択を責めれないですもんね。・・・と、まあ、誰でも、「何かをみんなで続けることの難しさ」に直面していると思うんです。

だから外野の私が勝手な気持ちの押しつけとしては、セレソンDXの次の公演も観たい!だけど、当事者には解散するということはそれだけの理由があるのだろうから、ホント残念!という一方的な気持ちだけどぶつけておきます(笑)。毎回必ず観に行ってたわけでもないのに、続けていてくれたら、またきっと観に行く時も行かない時もあって、でも解散しちゃったら、もう観れない。それだけのことなのに、やっぱり残念。

物語の舞台は、都内の芸能人や政治家が利用する病院。ここで入院中の人たちとその関係者たちが巻き起こす1日の人間模様。とび職の親方とそのファミリー、総理を狙う代議士の秘書たち、恋愛中の医師、ナース・・・があっちでもこっちでも勘違いを重ねていく・・・と。そんな感じ。

ラストの歌と踊りの押せ押せ感? 観客に対してのtoo much感が、セレソンDXらしさかな(笑)。斎藤さん、踊ってましたね~。「愛と誠」を思い出しました(笑)。

セットは今までのセレソンDXの舞台と比べると、いつも以上にシンプル。まあ、そんなことも含めて、私は直後は物足りない気持ちで帰ってきた。それはいつもみたいに、じゃあ次は・・・と期待してしまう自分がいるからの感想でもあって、でもセレソンDXは今回の公演で解散する。

1日経って振り返ってみると、あのtoo muchな感じで客に押しつけてくるエンディングが、やっぱりセレソンDXっぽい強引さだよなぁ~と、もう懐かしいような気持ちに。

東京からスタートして、11月まで日本各地で上演する予定のようなので、斎藤さんの踊りっていうか振り付け(ダンス、、、ではない・笑)を観に行ってみて!

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2012年5月 9日 (水)

加藤和樹(JOKER)×コーヒープリンス1号店

話は前後しますが、ガンダムの続きから。

いつもならお台場から品川までレインボーブリッジを通って20分もあれば楽勝のコースなのに・・・GWってホント車が多いんですね。しかもあっちでもこっちでも事故起こしてて(衝突。品川までに2件見ました)、ナンバーを見ると関西からだったりで、せっかくの連休が台無しだよなぁ・・・そして事故の処理で車線が狭まり、さらに渋滞。

開演10分前に会場到着! 品川ステラボールも実は初めて。関係者席に案内され、2F席に着くと、なるほど~!この会場って横に広いんですね。それってアーティストにとってはどうなのかな? 音の反響とか難しそうな気がするけど。

もう先に言ってしまいますが、私はまだまだ加藤和樹さんのことを知らないな、と(笑)。そう驚くくらい、今回初見のJOKERは、観たことのない加藤さんのキャラ(?)でした。キャラって言っていいのかどうなのか? JOKERの加藤さんはこういうスタイルなのね、と私が馴染むまでにちょっと時間かかりました。加藤さんて、きっと、知れば知るほど面白キャラの引き出しを持ちつつの、実はやっぱり超がつくほど真面目な礼儀正しい男子なんだろうなぁ。ライブ後のバックステージで関係者に挨拶していて、私もほんとにサクッと挨拶して早々に帰って来たのですが、取材で会う時のトーンの穏やかな加藤さんに、安心したり。イケメンで礼儀正しいとか、イケメンで男気があるとか、イケメンで(イケメンイケメン言うなって感じですが・笑)、まだ何度も仕事をしたわけじゃないのに、加藤さんの仕事の取り組み方や人との接し方に、この人キチっとしてるなぁ、って信頼が出来てしまう私がいるんです。だけどなんていうか、もっと隙っていうか、突っ込みどころを見せて欲しいなと思ったり。ある意味JOKERは突っ込みたくなる箇所も多数なんだけど、そこが面白かったんだな、と今思う。

さらに、先日ゲネプロに招待していただいた「コーヒープリンス1号店」の記憶ががここで再び呼び戻されるとは!(笑) 出演者が総出で応援に駆けつけていましたね。ゲネプロで、初めて高畑充希さん(韓国のドラマのユン・ウネの役)の歌声を聴いたのですが、衝撃でした。「透明感」って、こういうことを言うんだ、と。主演2人(山崎育三郎×高畑充希)の歌声をいつまででも聴いていたいと思いました。そして2人の声が重なっても、濁りのない美しい響きで、ひたすらそこだけに心が奪われました。そんなわけで加藤さん、井出卓也さんに注目することも忘れてしまったのですが、JOKERのステージにゲストで井出さん登場!というところで、コーヒープリンスのミュージカルの記憶も蘇った、と。ついでに言っておくと、明日から大阪・森ノ宮ピロティホールで4日間上演されますよ! チラシに記されたマップを見ると、大阪城ホールの近くのようです。あ、私は明日は大阪城ホールに向かいます。

さて、JOKER。オープニングのライトを組んだトラス(舞台業界用語)が上に上がっていく演出、すごくカッコよかったですね! ああいう演出、燃えますよね~!(笑) あとね、バンドの演奏が上手い。だからフロントのJOKER2人は自由に暴れられる。音を出してる本人たちが、絶対気持ち良くて楽しいよなぁ~、ってのがわかる。

この日私が一番ウケた(!?)JOKER・加藤さんのMCは・・・・ライブエンディング近くで、GW期間中はJOKERのライブWEEKということでファンに向けて。

「毎日逢えるんだぜ、逢おうと思えば!!・・・・・逢おうと思えよ!!(笑)」

* * * * * * * *

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Tokyotower1日にライブ2本は、やはり気持ち的にも体力的にも、かなりハードでした。

JOKERのライブ後、wing品川のアンナミラーズ(え~と、昔この店でバイトしてました!理由はアンミラの制服が来たかったから。笑)で、久しぶりにバナナパイを食べて、変わらない味はやっぱりおいしくて満足。

GW中の夜、都内の道路はガラガラでした。

東京タワーがキレイで、あ~私たち、東京のGWを満喫してるんじゃない?って盛り上がりながらドライブを楽しみ、長い1日が終りました。

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2012年4月20日 (金)

【再び】淋しいマグネット @シアターコクーン

Magnet_001先日ブログで初見の感想をアップした舞台「淋しいマグネット」。D-Boysの舞台だ。主要な4役を演じる組み合わせのパターンがいくつかあって、前回ブログの最後にこう書いた。

「昨日の舞台では荒木くんを観ていない。もう一度観てみたいと思う舞台は久しぶりだ」

そしたら再びD-Boysの所属事務所から、荒木くん出演日に誘っていただき、再びワクワクしながら渋谷BUNKAMURAシアターコクーンへと向かった。

約2時間の舞台のエンディングを観ながら、前回は思いもしなかったような感情が次々に頭の中で活字になって飛び出してきていた。昨夜わかったことがあった。でも、このキモチは今だけのものかもしれない。だからすぐに、このキモチが消えてしまう前に書かなくては! そんな衝動に駆られて今書いています。

*以下、個人的な感想です。いろんなとらえ方の中のひとつの見方です。舞台を観る前の方は、読みたい方だけ読んでくださいね。既に舞台を観られた方、そういう見方もあるのか~と、ひとつの見解として楽しんでください。ちなみにパンフレットは持っていませんので当然読んでいません。舞台そのものを観て、そこから私が感じたことのみ、です。

演じるメンバーが変われば、その4人の空気感も変わり、そこから生まれる化学反応によって見えてくるもの、伝わるメッセージが違うかもしれない、、、という「かもしれない」を多分に含んだ作品だ。「かもしれない」は演じる側と観る側それぞれの「想像の余白」。結論を観客に委ねているのだから、これはもう自分がどう感じたか、それでいいのだ。

あらすじは、公式HPから一部抜粋。

日本のどこにでもある海の見える地方都市。
そこでは権力者の息子も貧しい家の息子も同じ時を過ごし、共に育っていく。
そこで当たり前のように出会った4人の少年たち。
4人は遊びも悪戯も、バンド活動も、いつも一緒に成長してきた。

しかし、ある日突然一人の少年が姿を消してしまう。
彼が書いた一篇の寓話を残したまま…。

その寓話は『淋しいマグネット』。

(*詳しくは作品のHP参照)

* * * * * *

エンディングを観ながら、ふとこんな言葉が浮かんだ。

大好きと大嫌い、ごめんねとありがとう。

----私たちの人生は、失敗や後悔、そして感謝の繰り返しだ。だからいつもこの相反する感情、この言葉の繰り返しだ。

でも、身近な相手、親しい相手、伝えなくてはいけない相手にこそ、ぶつけられない、なかなか直接伝えられない言葉だ。いつでも言えると思ってる距離感の時は言う必要がないような言葉。だけど、離れてしまってからはその機会さえなくなる。

言えないのは淋しいから。だれもが独りにはなりたくないから。だけど淋しいという感情はやっかいで、ひとりぼっちの時よりも、親しい誰かがいる時の方が淋しかったりする。親しい人に思いが届かなくて、或は親しいはずの人の本心が見えない時の「淋しさ」は、ひとりの時の淋しさ以上だったりする。例えば、恋人がいない淋しさよりも、恋人の気持ちがわからない時や恋人との間に不安を感じる時の淋しさの方がずっと淋しい。

シオンが作った機械は、子供のころ傷つけてしまったフラミンゴへの言えなかった「ごめん」、リューベンへの「ありがとう」そして「ごめん」、そんな過去に表現できなかった思いを形にしたものではないかな。許してもらいたいわけじゃないだろう。でも、過去の時間も含めた自分自身を超えていかなければいけないからだろう。今日も、そして明日も、生きていくために。昨日(過去)よりも今日の自分を少しでも好きでいたいから。

ごめんね、ありがとう。

だからエンディングではなんともいえないあたたかいような切ないような、微妙な気持ちになるのかな、と2回目にして自分の考えを分析してみたり。

結局「空の庭」で終わる。それは、全員が「空の庭」だけが直接リューベンの語りで聞いた、リューベンの物語だから。

ここから、独自考察してみる。私は勝手に、こんな風に推察している(笑)。あくまでも私の推察だからね! 1つの見方として、読んでみてください。

・・・ギターケースいっぱいに詰まっていた残された物語は、全てゴンゾが書いたものではないか(と、イキナリ大胆推測)。リューベンは自分の物語は頭の中にあった。子供の頃、天才だと言われていたリーダー格のゴンゾは、「空の庭」の物語を聞いた時、目の前に現れた本物の天才(リューベン)に衝撃を受けたのではないか。憧れと嫉妬、独占したい気持ち(ふたりだけの秘密を持ちたい)と遠ざけたい思い(バンドのメンバーをクビに・・・) 感情がごちゃまぜになっている幼いころの記憶。そしてリューベンみたいに特別な存在になりたくて、模倣して物語をいくつも書いた。いくつもいくつも書いた。だからリューベンがギターケースに残した作品は全部知っている。どの1作も「空の庭」を超えれないことをゴンゾは知っている。

それは物語だけど、ラストはやはり好きな(大事な)相手を傷つけて終わる。そう、だから「淋しいマグネット」はリューベンになりたかったゴンゾが書いた彼の物語、彼の感情だったのではないか? そして実はそのことも全部互いに知っていた。スーのこともね。

全て知っているけど、面と向かってあえて会話にしてこなかっただけだ。傷つけ合っていても、好きだったり一緒にいたい仲間だからだ。好きだから、じゃないかもしれない。淋しいとか孤独とか、自分のココロの中に空いている穴を埋めたいだけかもしれない。

人の感情は複雑で、「100%好き」以外のいろいろな好きがあると思う。好きだけど嫉妬してしまう場面もあったり、好きだからこうして欲しいと求めるものがあったり。同じだけの感情を与えあっているわけではないから、惹かれあっても傷つけたり、くっついていても孤独を感じたり、、、。

そこに「若さ」は傲慢さもプラスされる。自分だけは特別だと信じたい自我。オトナになってしまうと、特に社会人になった頃には、大抵の人は気づくでしょ? 自分は特別なんかじゃないって残酷な現実に。それと同時に夢を語れなくなったりするよね。もう今生きてる日々がリアルすぎて、恥ずかしくて夢なんて(バンドで有名になるとか)言えなくなる。世界の中で特別な才能を持っていると信じていたかった子供の頃、リューベンという特別な存在が現れて、自分が普通だと認めざるを得なかった時、、、いや、そんなことはない、自分は特別な何かを持っているとあがきたかった10代、、、あぁ、名前まで普通だな、なんてトオル。トオルは早くに自分が普通だということ(特別な才能を持っていないという現実)を受け入れてきた。それは自分で自分をあきらめることだ。

「空の庭」・・・物語のラストシーンを語るリューベンは岩場の一番高いところに立ち、日頃笑わないと言われているのに、満ち足りた表情を浮かべている。現実社会では無理でも、物語の中に逃げ込んでしまえば、そこでは笑顔でいられたのかもしれない。

ところで・・・小学校とか昔のクラスメートのことを思い出せますか?例えば30人のクラスだったとして、全員の顔がパッと浮かびますか? 親しかった友達は、わかる。嫌われてたりいじめられてた子も覚えてる。 そして、普通の子、事件を起こすこともなく、クラスのエピソードに名前が上がってこない子のことって忘れちゃってませんか? 嫌いな子の方が、自分にとって害をおよぼさなかった普通の子よりも記憶に残る・・・。

別な例をあげると、肉体は死んでしまっても「記憶に残る」「記憶の中で生きてる」って人がいますよね。現実世界でホントちゃんと生きている人のことなのに、自分の記憶の中にはその人についての印象は何も残っていない、存在感のない人と、一方で、この世を去ってしまっているのに、その人の言葉や姿はいつでも鮮明に覚えている人・・・どちらが自分にとっての「本当に生きている人」なのか? 

ゴンゾにとってはリューベンは永遠に生きてる人なんだと思う。トオルにもシオンにもね。

時間は決して後戻りできない。そして振り返る時に知る「若さ」は、甘い記憶だけではなく、苦い記憶とセットになっている。。。

さて、4人の幼馴染の物語は、そのままうっすらとD-Boysという集団に投影して想像できる。グループ名の元に集まっているけど、仲間でありお互いの最高の理解者であり、時にはライバルであり、一緒に上を目指す親友であり、、、その関係性の断片を、今回の物語の4人に投影してしまうから、だから物語にリアルさが増すのだろう。

ステージ上の左右に階段席を設け、もうどこからでも観てくれ、的な演出や、ギミックに頼らない個の演技を追求していく彼らのスタイルに、非常に好感を持ちました!

★オマケ。

個人的にクスッときたツボは、やはり音楽ネタ。

>開演前の会場内のSEに、セックス・ピストルズの「Anarchy In the U.K」が流れていたこと!

>> リューべンはベーシストでセックス・ピストルズのシド・ビシャスに似ていたこと。

>>> リューべンの葬式で、トオルが選曲したエリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・へヴン」が流れたことで、その曲はリューベンは好きじゃないだろう?って会話(笑)、そうだそうだ!とウケました。「Anarchy In the U.K」か「God Save the Queen」を流せー!って感じだよなぁ、と思ったシーン。

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2012年4月10日 (火)

淋しいマグネット @シアターコクーン

招待していただき、渋谷のBUNKAMURAシアターコクーンで「淋しいマグネット」を観て来ました。以前からこの会場、結構好きです。

それにしても、パッと見、おかしなタイトルだよな、と思う。マグネット=磁石ですよ。磁石が淋しい・・・どういう内容なのか、事前情報をあまり持たずに、まずまっさらな気持ちで観てみよう!

*以下、個人的な感想です。いろんなとらえ方の中のひとつの見方です。舞台を観る前の方は、読みたい方だけ読んでくださいね。

物語の舞台は地方都市。幼なじみ4人の20年間の成長を描いた物語。夢ばかりの9歳、もう子供ではいられない19歳、現実と向き合う29歳。地元や過去や仲間に対して感じる、磁石のような引力や反発力。4人の“淋しいマグネット”達の物語----と、あらすじはtwitterの公式などで紹介されているが、青春の輝きや眩しさよりもむしろ、苦悩や葛藤、地方ならではの閉塞感が全体を包み込んでいる。

最後まで観ても、答えが明確に示されていないので、それぞれ観た人が自分なりの答えを探しながら終わる、という感じ。リューベンはなぜ死んだ? いや、本当に死んだのか? 自殺だったのか? そうだとしたら、なぜ?--という部分がキ―になるのかなと思わせながら、実はソコじゃないんだな、とか観終わった頃には思う。

実に難解な作品。感性が試される作品。でも、こういう作品嫌いじゃないです。【strobo】の読者はこういう作品を好きな傾向にありますよね?(笑)

ホント難解な作品に挑んでいるんだなぁ・・・瀬戸くん、荒木くん、柳下くん(【strobo】で取材したメンバー。彼らが主要な配役で、しかも日によってその組み合わせも違う) 華やかという点では瀬戸くんは間違いない存在でした。彼はなんて言うか、主役を演じる人、中心にいる人だな。今回は独り語りで物語をを引っ張っていくシーンが多いので、セリフ量といいキャラクター設定といい、大変だけどやりがいのある役だったんじゃないかな。

そして今回、私にとって驚異的だったのは柳下大くん! 舞台で、目の前で演技している役の姿と、【strobo】の取材で会った彼のイメージが全く一致しない。実は同じ感覚を前作「検察側の証人」の時にも感じました。あれ?柳下くんだったんだぁ!?って。演技力が無限大なのか!?

「淋しいマグネット」は観終わった後に、「わぁ!」とか「良かったぁ!」みたいに晴れやかに帰れる作品ではない。こういういことなのか? と自問自答したり、もう一度プレイバックしてみたり、重苦しさが残る。友達と観たら、必ず何かを話したくなるだろう。自分のこの理解は正しいのか? あの場面はどういう意味か? など誰かと確認しあいたくなるだろう。それは、ちょっと自分の感じ方に対して心細くなるからだ。自信とか確信を持って、こういう作品だ!と言いきれない余白が大きい作品だからだ。

テーマになっている4人の友情(?)。幼馴染、友達…特に親しい親友と呼べる仲間に対する、深い愛情や信頼と、同時に感じる嫉妬。その感情、わかりますよね? そういう深いところをえぐってきて、過去にさかのぼって忘れてた感情を呼び起こさせるので一瞬精神的にダメージをくらいそうになりました(苦笑)。なので、昨夜は車での帰り道、いつもなら曲をかけながら運転しているのに、なにも聴く気分になれなかった。音がものすごくうるさくて邪魔なものに感じるくらいで、とにかくもっとこの作品について、自分の考えをまとめなくちゃ、みたいな、自分の感情を整理しようと必死だった。夜中、ブログに書き始めて、、、やっぱり書ききれなくて、とりあえず寝ることにした(笑)。朝になれば考えもまとまるだろう。ってわけで、今加筆しながらアップしているところです。一夜明けたら、スッと自分の真ん中あたりに物語が降りた、というか落ち着いたから。

今回、男女のダンサー(女性はバレエ系)を8名起用していたが、それも舞台演出には重要なポイントだった。D-BOYSが、彼らたちだけで全てをやろうとするのではなく、その道のプロフェッショナルを自分達の舞台に取り込むことで、彼らの目指している舞台が、今までよりもさらに高いレベルでの表現をめざしていることがわかった。

エンディングのシーンで、なんともいえないあたたかいような切ないような、微妙な気持ちになる。それでも生きてる。それぞれにいろいろな思いや過去の消したい記憶や時間を抱えてきても、その全てを吐き出す相手がいなくても、自分で自分をあきらめそうになっても、それでも今生きてることの意味とか、、、怒りをぶつけられる相手が存在するということ、それ自体の意味とか、、、忘れられない人とか、、、そんなこといろいろが言葉ではまとめられないけど、だけど今日も生きてる。私もそうだ。今日も生きてる。

ちょっと話は逸れるが・・・

この前BIGBANGの合同インタビューの最後に、BIGBANGのライブを初めて観る人に魅力を言うと?という質問に対して、V.Iが「生きてるって感じですね。ALIVEです!」と答えた。そのシーンがフラッシュバックした。去年1年のBIGBANGの経験や思いを想像しながら、「淋しいマグネット」の4人の20年と重ねて、舞台のエンディングを観ながら、ぼんやり思った。距離の近い仲間が何かを乗り越えていく---その何かはそんな事件とかじゃなくても、「時間」とかもそうだが---そういう過程で必ず経験していく壁や、再確認できる思いとか・・・。

昨日の舞台では荒木くんを観ていない。もう一度観てみたいと思う舞台は久しぶりだ。

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